フラレ番長。 [*love & life]

「わたしからもうメールを送ることはないけれど、
 圭くんはわたしに言いたいことをメールしてきて下さい。
 きっと、たくさんあると思う。」

ってせりふにグッっときた今日この頃。グッジョブ。

テキスト王: さっか道
http://kudok.com/road/road_contents.htm


振られることは不条理だ。
こころの準備を着々と進めていた振る人とはちがい、
振られる人にはそのときが突然やってくる。

それまでお互いがお互いに対してモチベーションを持っていると
信じていた事実が突然崩れ落ちる。
そしていままで大好きで依存しがちだった相手への信用を疑い、
好きじゃなくなる作業をしなくてはならなくなる。

それは深さのわからない落とし穴に落とされるのに近いかも。
落ちる前はそこに穴があることすら気づいていない。
気づいていても、穴なんて無いんだと信じて、地面に依存して歩いていく。
あるいは地面があることすら忘れ、あたりまえのように進んでいく。

しかし落ちる時は一瞬だ。
上を向いても出口は見えない。
というか上を見上げる余裕すらない。
自分のおかれた状況が理解できなくなる。

だんだん落ち着いて自分のおかれた状況を把握していく。
相手はこれまで時間をかけて準備を進め、
自分が相手を信じている間に着々と穴を掘っていたのだ。

しかしその事実を認識するわけにはいかない。
穴に落ちた事実ではなく穴の存在すら認めたくない。
穴の存在を認めると、自分が信じていたすべてが崩壊してしまう。気がする。
そして自分の置かれた立場を認識せざるをえなくなるにつれ
振った相手への迷いは怒りに変わっていく。

でもそれが、大好きだった相手を好きでなくなるための
作業の一環であるならば、
その怒りや憎しみは恋愛の終わりを迎える上で不可避な行程だ。


このつらい作業を、振った張本人がジャマをするのは卑怯だ。
罪悪感から連絡を取るのは振った人の自己満足でしかない。

「別れても大事な人だから少しでも役にたてれば...」
って言葉は
「もう振った相手だから少し役立てば十分」
って言葉にも似ている。

でも振られたほうだっていつかは気づく。
落ちた穴を掘ったのは自分だったって。

だからわたしからはメールしないけど
それでも相手を一方的に受け入れる覚悟はすばらしいんだ。


下の写真は台風のあとの昨日の夕日。
嵐のあとはいいことあるゼ。



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